2022年07月24日

展覧会のお知らせ


倉智久美子 展

2022年7月27日(水)ー8月20日(土)
正午ー午後7時 / 土曜日午後5時まで
月曜・火曜・日曜 休廊
◎ 7月30日(土) 午後 4 時より倉智久美子を語る会


⇨ 妹の高橋敬子さんより
 皆様にお世話になりました、私の姉、倉智久美子は
昨年十二月四日、長く暮らしたドイツ、デュッセルドルフ近郊の病院で、
癌の為、亡くなりました。

 もしも、私が技法と言えるものを持つとするならば、それはたぶん、
永遠にそれは本当は何かを、それに問うことであるような気がする。

 この文は、一九九七年に姉が書いた自身の作品について語った文章の中
に出てくる文です。変なことを言うなと、その時は思い、後には忘れてい
ました。しかし、二〇一一年に、ベルリンのミース・ファンデルローエ記
念館での展覧会全体のタイトルは、Auf die Frage で、日本語にすると「質
問する、問いかける」と言うような意味であると気付き、姉は、自身の作
り出したモノに、ずっと問いかけを続けていたのだなと感じています。
 
 描くと言う基本の行為に惹かれるのは何故か、そうしてできたものは何
なのか、アトリエの中で繰り返されたであろう、姉と、彼女のつくってい
るものとの対話を思い浮かべます。決して器用な方ではなかった姉は作る
のもゆっくりでした。「一つ作って、それと対話しながら次をつくる、で
きたなと思ってジーっと見て、自分が見飽きなくなったら、それは完成。
余分な思いが入るから、タイトルはつけない。」このようなことを言って
いたと覚えています。

 アトリエを片付ける時、何度も失敗してやり直したあとや、壁にかけた
作品を見ながらメモしたんだろうなと思う言葉もあり、頑ななまでに制作
に対して真面目に取り組んでいた姉を想いました。
 
 それが、そこに含まれる空間や距離や時間に問いかけるとき、そこに
は無限が含まれる。手にとって持つことのできる無限は厚みを持って壁か
ら立ちあがろうとする。彫刻のような「存在」がはじめにあるのではなく、
その厚みは折り重なる問いのかたちである。

 
 壁から立ち上がろうとする、折り重なる問い、のかたち
   
 姉は自身の展覧会場にはできるだけ居て、観にきてくださった方のご意
見を聞く事を大事にしていると、申しておりました。
ずっと続けられたのも、見にきてくださる方がいるからだと。
 ご高覧頂けましたら、大変有り難く思います。

         二〇二二年 七月   倉智(橋)敬子



 暑中お見舞い申し上げます。
このたび倉智久美子展を開催致します。
この展覧会は、本年4月に予定していましたが、昨年
12月4日に2000年から滞在されていましたドイツ・
デュッセルドルフで病いのため亡くなられました。
 ご冥福をお祈りしつつ開催致します。
ドイツからの輸送が難しい情勢で、日本に残されていた
作品を展示致します。
皆さまと惜別の時を過ごせれば幸いです。
ご来廊の程どうぞよろしくお願い申し上げます。

                  
posted by saigallery at 17:11| 展覧会