2018年11月01日

展覧会のご案内



柏原えつとむ
プールの時間



2018年11月13日(火)−12月1日(土)
正午〜午後7時
月曜・日曜・祝日休廊 / 土曜午後5時迄
初日午後6時よりオープニングパーティ

☞ アーティストトーク
 12月1日(土) 午後5時より
  柏原えつとむ × 橋本梓 (国立国際美術館主任研究員)
  < 要メール予約 / 定員30名 >

プールの時間 No.1 2018.jpg
「プールの時間 No.1」 2018   CGによるエスキース

<作家コメント>
『プールの時間』
直線的な西欧の時間でも、循環的な東洋の時間でもなく、ラテンアメリカの時間感覚は 『プールに溜められていく水のようなもの…』 と中南米美術の研究者である加藤薫氏が書いていた。確かにコロンビアのG・マルケスやチリのドノソ、あるいはアルゼンチンのボルヘスたちの文学作品には、なんとも不思議な時間感覚が漂う。
しかし、この興味深い指摘にも私は長らく明快な実感が獲得できないままにいた。が、ある時 『過去も現在も未来も溶け込んだ時間が溜められており、その中を自由に泳げる時間感覚では?』 と気付いたとき、目から鱗が落ちる思いがした。と同時に、これは絵画と向き合う感覚に近いとも思った。つまり、始めから終りへと進む時間感覚とその秩序は文学的であり、一方視線を巡らせているうちに、いつしか同じところへ戻ってしまう物体への眼差しは循環的とも言える。それらに対して、絵画への視線はどこか気儘な遊泳にも似て、自らのイマジネイションに従って好きなように泳いでいく。始点も終着点もなく同じ所へ巡り来たという実感もない。それも絵画特有の魅力ではないか?
以上は 2005年に大学院ゼミの導入として書いた文章だが絵画の魅力を語る指摘としては面白い。しかし一歩踏み込んでこの構造、すなわち「時間のプールを遊泳」する感覚で描こうとすると簡単ではない。 いつか挑戦してみたいと思っていたが、昨年あたりから急に好奇心が具体的に膨らみ始めた。動機は学生時代の自作の写真を見直していたとき、これらの習作に今日チャレンジしたいと願っている「遊泳感覚」が含まれていた気がしたからだ。当時はまだ時間を含むという自覚はなかったが、逆遠近法や自分流の遠近に没頭していたころである。ふと当時の自作に今日チャレンジしたいと願っている「遊泳感覚」が含まれていた気がしたからだ。
今回の個展を契機にチャレンジへの一歩を踏み出したいと始めたがなかなか手強い。しかし半端な面白さではない。つい夢中になってしまうのも学生時代と同じだが、まったく違うのは体力だ。まあ、やれるところまでやるまでだ。といって到達点があるかないかも分からない。ただ、夢中になれるのはこの上も無く楽しい。
                         柏原えつとむ 2018/ 10/ 11
posted by saigallery at 17:30| 展覧会